Stay homeから約一年。
お久しぶりです。
気が付けば、2021年。
そして、気が付けば3月でコロナがひどくなって、ステイホームしてから約一年。
一年普通の生活じゃない、すごい。
人間、慣れるんだ。
コロナがひどくなってからの春先はストレスがすごかったけど、(恋愛的な面もかなりあったはず笑)今は適応して、不便なりにきちんと生活できてる。
この前美容院に半年ぶりに行ったのだが、アホ毛がすごくて美容師さんになんでですかね?と聞いたところ、ストレスで抜けたり切れたりした毛が生えてきてるから、だそう。髪はすべてを語る、とのこと。
それで、ああ、今はいろいろストレスも大丈夫なんだな、と安心した・・・。笑
(むしろそんなストレスうけてたんかい!)
前期は初めての完全オンラインの授業だったので、トラブルもそこそこあったけど、後期は順調。学生も要領分かってる学生しか取り続けてないし。
TESOLを年末年始でとったので、今月からTOEFL再開しました。そろそろ逃げてないで決めたい。
先行きは相変わらず不透明だけど、今年もできること頑張って行こう!
選択の決定時
選択をするとき、いつも迷う。
例えば、「別れ」を選択するとき。
頭では、もう無理だろう、もう充分しんどい思いしたし向き合った。これからだって明るい未来が描けない。そう思う。一方で、「もうちょっと頑張れるんじゃないか」と思う。ただ、もうちょっと頑張った先にある未来は、ずっと一緒にいる未来ではなく、まだ別れが頭の片隅にある。つまり別れを先延ばしにしているだけ。じゃあもう意味ないじゃん、でも離れるのは寂しい。こんな感じで行ったり来たりする。
こういう時、たいてい別れた後は「早かったかも・・・もっと私が理解してたら・・・頑張ってたら・・・」と思うが、2週間もたてば「ちょっと寂しいけど、めっちゃ平和じゃん。もう悩まなくていいし。別れてよかった」になる。心の平穏が一番である。悩んだり、苦しんだりする期間は長すぎると自分にとっても悪影響である。
相手のことが本当に好きで別れを躊躇してるのか、ただ自分が一人になるのが怖くて、たのしかった時期の彼にすがっているだけで、もう頭では無理だと分かってるのに躊躇してるのか。これは全然違うことである。
確かに手放した後は寂しくなる。でも、心の平穏が戻ってくるのも事実である。
結局、恋愛で不安定な精神状態になるのが続くのが一番のマイナス。私の場合、悩みだすとそればっかり考えてしまうし、他のことが手につかない。時間のロスである。
だから、ある程度客観的に、冷静に見る「無理」だという事実と、それに気持ちが追い付いてある程度整理出来たら、完全に準備ができていなくてもその時行動に移すのが一番いい。なぜなら、付き合ってる以上気持ちがゼロになるのは難しいから。
半年、一年、数年、悩むのにそれを見ないふりして続けて挙句の果ての破局より断然いいだろう。
「3月のライオン」を見て自分の人生を振り返る
最近ハマっているアニメ、「3月のライオン」。
主人公は高校生のプロ棋士。将棋だけではないアニメで、人生や人間関係なども描かれている。そこで、主人公がお世話になっている家の中学生の女の子が出てくる。中学校でのいじめ、スクールカースト。見えないけど確かにある。自分が次のターゲットにされないための見て見ぬふり。狭い世界の話だ。
見ていて、確かに、学校生活でこんなこともあったなあと自分の人生を振り返って懐かしい気持ちになった。
いじめ、の話ではないが自分の人生を振り返るきっかけになったので、ここに残しておこうと思う。
私は人口一万人に満たないド田舎で生まれた。小学校低学年のときはピークで2クラス、一学年80人ほどだったが、転勤族がわりといたため、小学校卒業の時には70人くらいになっていたと思う。中学はいろんな小学校から集まってきてたので3クラスあり、一学年115人くらいだった。
田舎だったので、なにもかも筒抜け。〇〇ちゃんのとこは~らしい、とか。この前〇〇ちゃんの車見た、とか。
当然教育の風潮なんてない。
ましてや、大学とは?みたいな。地元の中学、高校へと進み地元に就職するか、専門に行って結婚するか、くらいの雰囲気。
地元の高校でも、よくできれば私立外国語大学の推薦はあったみたいだけど。
親が大学を出て、教育に理解にある親だったことだけが救い。
親は小学校の時に離婚。家がめちゃくちゃだった。どうせ好き勝手な噂が回ってるだろうし肩身狭かった。子供ながらに「隠したいこと」だった。私立中学受験もしたが一つは落ちた。県庁所在地にあるうちの県で一番の学校で、普通に学力不足。もう一つは合格したがあまり好きな雰囲気の学校じゃなかったのと遠かったので、地元の中学に進学。
普通にしっかり勉強して、夏休みは県庁所在地まで出て、模試だけ受けたり。
塾に行かなくても成績は良かったので、地元の高校ではなくかなり遠めの高校に通った。
高校でもいつも上位だった。うちの中学からもう一人、この高校に来たが、彼は中学ではいつも2,3位だったのに高校ではついていけず不登校→退学に。
確かに、高校では科目数が圧倒的に増えるし、要領よくこなしていかないとダメだ。
田舎の学区制限がある中とはいえ、私の通った高校のある市はいくつか高校があったので、必然的に「どんなレベルの中学校であれ、上位だったやつの集まり」になる。
そんな中でも私はうまくやっていたほうだ。
ただ、受験になると話は別だ。「学校での定期テストができる」のと、「模試で点が取れる」には、もう一段階勉強しないといけないのだ。そこに気づかなかった。
私がちゃんとした問題集に取り組みだしたのは高校三年の秋以降で、センターまで理系、そのあと文転して一カ月で英数国を仕上げて二次試験に挑んだ。(なんということ・・・)しかしながら、国立(まさかの前期試験しか受けなかった)は落ちて私立(まさかの後期試験しか受けなかった)で合格。めちゃくちゃ怖いもの知らずとはいえ受かってよかった。浪人は免れた。
兄弟が浪人していて、その頑張りを見ていて私には無理だと思ったので現役でひっかかったところにいった。
そして上京。田舎しか知らなかったやつがはじめての都会。
一人暮らし。誰も私のことなんて気にしない。夜遅くまで開いている居酒屋。
超大きくて、自由な大学。好きに選べるたくさんの講義。いろんなサークルに勧誘される。
これまでの田舎でくそ真面目にやってきた人生から解放された喜び。サークル、バイト、オール。勉強の放棄。2年間遊びほうける。
遊んで一周回ったので3年目、「留学しよう」と思って前期は準備、後期はアメリカに留学する。アメリカから帰ってきて4年目、大学院に行くことを決意。大学院の要件のTOEIC、専門分野の対策を前期に行い夏の試験で合格。後期は、教育系なので英語の教員免許も取ろうと思って取り始める(4回後期からとり始めるの草)。仕送りなどないため、バイトも大量に入れていたが、授業と卒論も両立し、卒論では賞をもらい、満足しながら大学を卒業。
そのまま大学院に入学。教員免許のこともあり、3年で卒業することにした。そのままバイトをこなしながら授業・教員免許も並行して続けていく。院生になるとTAやRAのバイトもチャンスがあるので、身体的には楽になった。(飲食店でのバイトも途中まで続けていた)。教育実習で地元に帰って3週間教えたのはいい思い出になった。素直な学生ばっかりで、自分もこんなかんじだったのかなあ・・・と思った。(もはや自分でも思出せない)。2年目から英語教育だけでなく日本語教育もはじめ、単位をとるのと並行して勉強して日本語教育能力検定試験に合格。修論も特に問題なく仕上げる。そしてph.Dの夢を延長したままアメリカに来て大学で日本語をおしえつつもうすぐ3年目。いつ行くんだい、ph.D。20代のうちには・・・汗汗
大変な時期はたくさんあった。親の離婚とか、経済状況とか。心理的なストレスで、当時の行動にも影響出てたと思う。小中高と・・・。あの時の周りの人、迷惑かけただろうなあ。
大学に入って上京して広い世界に出ると、精神的な不安は落ち着いた。
バイト戦士でよく働いた・・・。バイトにはまる大学生は貴重な時間を少ない時給と引き換えにして勿体無いと思うけど、生活のためには仕方ないし、コンビニや居酒屋、工場、塾などいろいろなところに顔を出して、社会にはいろんな「人種」がいることを学んだ。
振り返ると、あの田舎からその時その時でできることをよくやってきたと思う。世界が小さいなりに。
高校までの自分には想像できない世界に今いるんだなあ。
おつかれ自分、これからもきっとできるよ。頑張りましょう。
コロナウイルスでのアメリカ人の変化
様子を見ていたが、明らかにアメリカ人の考えが変化したなと思うところがある。
いちばん大きく感じるのはマスクへの反応。
ご存知の通り、アメリカ人はマスクをしない。頑なにしない。
アメリカでは、「マスク=病人がつけるもの」なのだ。一月下旬から、キャンパスなどで中国人がいちはやくマスクをつけ始めたが、マスクしている=中国人だった。
しかし、今ではほぼ全員がマスクをしているのだ。なんなら手作りの布マスクもしている。
これは、CDCやトランプがマスクについて言及しだしたこともあると思うが、
コロナウイルスの一連の出来事は、アメリカ人の意識を変えるほど大きい出来事なのだ。
私は日本人としてマスクをするになんの抵抗もないので(すっぴん隠しや花粉、寒さ対策)、3月下旬にマスクをしていたが、この時に「あの子はコロナ持っている」と英語で言われたことがある。私としては「は??うるせえ」なのだが。
今ではその人たちもマスクをしているのだろう。
スーパーに行けば、wipeやビニール手袋を用意しているところもある。
中国人の学生にスーパーで遭遇した時には、マスク&ゴム手袋の完全装備だった。
(中国人のマイ手袋着用率は高い。)
やはり、警戒心的には中国人がしっかりしているなという印象。
ちなみに中国人の元彼から1年ぶりに連絡が来たと思ったら「マスクは足りてる?海外から手に入ったからあげる」だった。
マスクをしていても、差別をされなくなったのは大きい。
アメリカでコロナウイルスに耐え忍ぶ
気づけば、感染者70万人突破のアメリカ。
3月の上旬にぼちぼち感染者が出てくる。大学の春休み前に近くで確認されたので、フロリダ旅行を取りやめ、感染者が出てないところに3日間だけ出かける。
そのまま、春休みが明けることなくオンライン授業に移行することになる。これが3月の15日あたり。
ここからは怒涛の毎日。
3/13 アメリカ国家非常事態宣言。
3/18 アメリカ政府、ほとんどの国でビザ発給を一時停止すると発表する。
3/19 アメリカ国務省、アメリカ国民に対してすべての海外渡航の中止を求めるレベル4に引き上げ。4月に入ると、Shelter-in-place orderも発令。
もう春休み明け(いうても3/10あたり)からどこにも行ってない。
日本を見ていて、先にトイレットペーパーやハンドソープを3月初めに買っていたが、これが大当たり。現時点でもない。
買い物は2週間に一回にし(こればっかりは車を持っている友だちか付き合ってた人にたのんだ)、本当に誰とも会わないし、どこにも行かない。
マスクは、ラッキーなことに2月下旬にたまたまゲットできた。マスクもハンドサニタイザーも、当然ない。
中国人の同僚(おっちゃん)にマスクをあげたらめちゃめちゃ喜ばれて投げキッスされた。笑
4月上旬頃、本当に不安定になって、帰りたいなと猛烈に思ってホテルや航空券まで調べていたこともあったけど、飛行機や空港に行くことがまずリスクだし、日本に帰っても2週間の隔離、交通公共機関を使えない、自費、周りにも迷惑かける、ってことで耐え忍びました。
もうすぐアメリカは新規の移民ビザ発給停止するそう。長期戦になりそう。
雇用先も雇用決まらず。あと一カ月でビザ切れるのに。