アメリカ奮闘記。

2018年からアメリカに来ました。現在27歳。働きながら、phDに行くのが目標。TOEFL100点目標。日々感じたこともつづっていきます。

「3月のライオン」を見て自分の人生を振り返る

最近ハマっているアニメ、「3月のライオン」。

主人公は高校生のプロ棋士。将棋だけではないアニメで、人生や人間関係なども描かれている。そこで、主人公がお世話になっている家の中学生の女の子が出てくる。中学校でのいじめ、スクールカースト。見えないけど確かにある。自分が次のターゲットにされないための見て見ぬふり。狭い世界の話だ。

見ていて、確かに、学校生活でこんなこともあったなあと自分の人生を振り返って懐かしい気持ちになった。

 

いじめ、の話ではないが自分の人生を振り返るきっかけになったので、ここに残しておこうと思う。

 

私は人口一万人に満たないド田舎で生まれた。小学校低学年のときはピークで2クラス、一学年80人ほどだったが、転勤族がわりといたため、小学校卒業の時には70人くらいになっていたと思う。中学はいろんな小学校から集まってきてたので3クラスあり、一学年115人くらいだった。

田舎だったので、なにもかも筒抜け。〇〇ちゃんのとこは~らしい、とか。この前〇〇ちゃんの車見た、とか。

当然教育の風潮なんてない。

ましてや、大学とは?みたいな。地元の中学、高校へと進み地元に就職するか、専門に行って結婚するか、くらいの雰囲気。

地元の高校でも、よくできれば私立外国語大学の推薦はあったみたいだけど。

親が大学を出て、教育に理解にある親だったことだけが救い。

 

親は小学校の時に離婚。家がめちゃくちゃだった。どうせ好き勝手な噂が回ってるだろうし肩身狭かった。子供ながらに「隠したいこと」だった。私立中学受験もしたが一つは落ちた。県庁所在地にあるうちの県で一番の学校で、普通に学力不足。もう一つは合格したがあまり好きな雰囲気の学校じゃなかったのと遠かったので、地元の中学に進学。

普通にしっかり勉強して、夏休みは県庁所在地まで出て、模試だけ受けたり。

塾に行かなくても成績は良かったので、地元の高校ではなくかなり遠めの高校に通った。

 

高校でもいつも上位だった。うちの中学からもう一人、この高校に来たが、彼は中学ではいつも2,3位だったのに高校ではついていけず不登校→退学に。

確かに、高校では科目数が圧倒的に増えるし、要領よくこなしていかないとダメだ。

田舎の学区制限がある中とはいえ、私の通った高校のある市はいくつか高校があったので、必然的に「どんなレベルの中学校であれ、上位だったやつの集まり」になる。

そんな中でも私はうまくやっていたほうだ。

 

ただ、受験になると話は別だ。「学校での定期テストができる」のと、「模試で点が取れる」には、もう一段階勉強しないといけないのだ。そこに気づかなかった。

私がちゃんとした問題集に取り組みだしたのは高校三年の秋以降で、センターまで理系、そのあと文転して一カ月で英数国を仕上げて二次試験に挑んだ。(なんということ・・・)しかしながら、国立(まさかの前期試験しか受けなかった)は落ちて私立(まさかの後期試験しか受けなかった)で合格。めちゃくちゃ怖いもの知らずとはいえ受かってよかった。浪人は免れた。

兄弟が浪人していて、その頑張りを見ていて私には無理だと思ったので現役でひっかかったところにいった。

 

そして上京。田舎しか知らなかったやつがはじめての都会。

一人暮らし。誰も私のことなんて気にしない。夜遅くまで開いている居酒屋。

超大きくて、自由な大学。好きに選べるたくさんの講義。いろんなサークルに勧誘される。

これまでの田舎でくそ真面目にやってきた人生から解放された喜び。サークル、バイト、オール。勉強の放棄。2年間遊びほうける。

遊んで一周回ったので3年目、「留学しよう」と思って前期は準備、後期はアメリカに留学する。アメリカから帰ってきて4年目、大学院に行くことを決意。大学院の要件のTOEIC、専門分野の対策を前期に行い夏の試験で合格。後期は、教育系なので英語の教員免許も取ろうと思って取り始める(4回後期からとり始めるの草)。仕送りなどないため、バイトも大量に入れていたが、授業と卒論も両立し、卒論では賞をもらい、満足しながら大学を卒業。

そのまま大学院に入学。教員免許のこともあり、3年で卒業することにした。そのままバイトをこなしながら授業・教員免許も並行して続けていく。院生になるとTAやRAのバイトもチャンスがあるので、身体的には楽になった。(飲食店でのバイトも途中まで続けていた)。教育実習で地元に帰って3週間教えたのはいい思い出になった。素直な学生ばっかりで、自分もこんなかんじだったのかなあ・・・と思った。(もはや自分でも思出せない)。2年目から英語教育だけでなく日本語教育もはじめ、単位をとるのと並行して勉強して日本語教育能力検定試験に合格。修論も特に問題なく仕上げる。そしてph.Dの夢を延長したままアメリカに来て大学で日本語をおしえつつもうすぐ3年目。いつ行くんだい、ph.D。20代のうちには・・・汗汗

 

大変な時期はたくさんあった。親の離婚とか、経済状況とか。心理的なストレスで、当時の行動にも影響出てたと思う。小中高と・・・。あの時の周りの人、迷惑かけただろうなあ。

大学に入って上京して広い世界に出ると、精神的な不安は落ち着いた。

バイト戦士でよく働いた・・・。バイトにはまる大学生は貴重な時間を少ない時給と引き換えにして勿体無いと思うけど、生活のためには仕方ないし、コンビニや居酒屋、工場、塾などいろいろなところに顔を出して、社会にはいろんな「人種」がいることを学んだ。

振り返ると、あの田舎からその時その時でできることをよくやってきたと思う。世界が小さいなりに。

高校までの自分には想像できない世界に今いるんだなあ。

おつかれ自分、これからもきっとできるよ。頑張りましょう。